帯状疱疹の療養中、特段やることが見当たらなかった。
大学に居ない自分がいかに空虚な存在かを思い、
情けなさを感じた。
仕事場、社交場として研究室があって、
食い扶持として奨学金があてがわれている。
自分にとって大学は言わば
肝臓であり、酸素であり、水分なのであった。
趣味・嗜好に傾倒する方法を
すっかり忘れてしまった。
1日のほぼ全てを研究室で過ごしていたのだから
無理もない話かもしれない。
急に「休みだからなんでもどうぞ」
と1週間与えられても
やることが思いつかない。
健康だったら
おそらくまた研究室に向かっていたことだろう。
焦燥感に駆られた末、
興味を惹かれたのはビジネスだった。
兼ねてから温めていたというのもある。
いつか手が空いたらと思っていたが
勉強の域を出ず、
ついに手が出なかった。
このときばかりは
所在のなさと好奇心とが背中を押した。
仕事に夢中になるうちに、
気づけばいつかの憂鬱さも
何処かへと消えてしまっていた。
やはり自分はボーッとしているより
何かに取り組んでいるときの方が健全でいられる。
それからというもの、
寝食を忘れて仕事をした。
寝ても覚めてもビジネスといった感じである。
自宅療養期間中、
持てるエネルギーは全てビジネスに注いだ。
結果、月商20万円を突破した。
これまで学んできた理論が
結実した瞬間であり、
歩んできた道のりが正しかったことが証明された。
あとは時間さえかければ
これを膨らませられる。
そう確信した。
残された期間は1年半。
卒業までになんとか結果を残すつもりで
引き続き取り組むことにした。
これまで進路は、
就職か進学かのいずれかしかない
と考えていたが、
起業家としての道も考え始めたのはこの頃だ。
長すぎる自宅療養期間を経て
研究室に復帰してからというもの、
実験は最小限にとどめ、
持てる時間はできるだけ
勉強するか、仕事をするかに使った。
完全にビジネスに舵を切ったのであった。
研究に関しても
自分の手でやらなければ気が済まない
妙なこだわりも捨て、
積極的に後輩に仕事を振るようにした。
病気でぶっ倒れたのが効いたのか、
後輩たちは快く仕事を引き受けてくれた。
大学にいる間は、
自分にしかできないこと以外はほぼ全て後輩に任せ、
暇さえあれば仕事に取り組んだ。
結果、10ヶ月で月商200万/月収50万円を突破した。
・・・。
呆然とするしかなかった。
なんの取り柄もなく、
就活するか進学するかうろうろしていた学生の預金口座に
サラリーマンの平均月収を
遥かに上回る大金が転がり込んできたのだ。
しかも1年半を見込んでいたところが10ヶ月で。
残高の数字は毎月増えるも、
実感は全くついて来なかった。
昼食も、いつも通り実験の待ち時間に、
学食で300円のカレーライスを無表情で食べていた。
口に掻き込むスプーンとかち合うカレー皿に、
これまで培った価値観が崩壊する音を聞いた。
兼ねてから、
自分がここにいるべきではないような息苦しさを感じていた。
思いは大学院に進んでから
次第に勢いを増して膨らんでいく。
自力でお金を稼ぐ術を身につけた今こそ、
もたれた体を起こすべきだと思った。
自分を律するときが来た、と。
その夜、世話になった大学を去ろうと決めた。
後日この旨を教授に伝えると、
最初こそ反対されたものの
稼いでいる金額や
今後の展望、
これまでの思いを伝えたところ、
了承していただいた。
指導教員の許可がないと退学できないのを初めて知った。
修士1年次の夏休み明け。
役所に開業届を、
大学に退学届を提出した。
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- 【第0章】個人で稼ぐ力を身につけて独立。就職から自由になった元大学院生の物語
- 【第1章】-幼少期- お金を意識するようになった幼き頃の原体験
- 【第2章】-中学生- 受験戦争、それは不安との戦い
- 【第3章】-高校生- 堕落は続くよどこまでも
- 【第4章−1】-大学生- 大学生活が入学と同時に終わった
- 【第4章−2】-大学生- 労働の裏切り
- 【第5章−1】-大学生- 研究との邂逅
- 【第5章−2】-大学生- 選択と集中
- 【第6章】-大学院生- 俺はこの世界にいるべきじゃない
- 【第7章】-大学院生- ドクターストップとビジネス
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