「人生の時間をどう使うか?」— 徹夜ゲームと働き方の価値観
先日、大学の友人とswitchで遊びました。久しぶりに熱中し、徹夜でプレイしました。思いのほか体を動かすゲームだったため、運動不足の僕にはかなり堪えました。
実はその前日、体調を崩して寝込んでいたのですが、すっかり回復。夜通しゲームを楽しんだ後、気がつけば12時間も爆睡していました。相変わらず不規則な生活です。
そんな生活を送っていると、ふと「働くこと」と「自由時間」について考えさせられます。友人に「遊ぼうぜ!」と誘われれば、衝動的に飛行機に乗り、東京から地元へ帰ることもあります。この気ままさは、普通の会社員生活ではなかなか実現できません。
労働時間を計算してみると…
一般的な会社員は週休2日で、年間の出勤日数は約260日です。
1日8時間働くとすると、年間2080時間。
それを40年間続けると、累計83200時間、つまり約3466日。
日数に換算すると 約10年間 に相当する時間を労働に費やすことになります。
この計算を学生時代に初めてしたとき、僕は驚愕しました。人生の10年が「働くため」に消えてしまうなんて…。そんな未来を受け入れられず、僕は就職活動を放棄し、インターネットビジネスの世界に飛び込みました。
実際には「労働時間=8時間」では済まない
しかし、実際の労働時間は単純な8時間では終わりません。
- 通勤時間
- 出勤前の準備
- 休憩時間(会社から離れられない)
- 残業
これらを含めると、1日10時間以上が労働に関連する時間として消えていきます。
仮に残業ゼロでも、週休2日で40年働くと 約12年間 が仕事に消える計算です。
さらに、長時間労働の職種では1日13時間、14時間働くケースもあります。これは 産業革命時代の工場労働者と変わらないレベル です。
もはや「自分の人生」を会社にプレゼントしているようなもの、という考え方もできなくもない。
労働には多数の「制約オプション」が付いてくる
さらに、労働時間の問題だけではなく、会社員生活にはさまざまな制約がついてきます。
- 住む場所を自由に選べない(勤務地に左右される)
- 休む日を自由に選べない(会社のカレンダー次第)
- 気軽に長期旅行に行けない(有給取得の制約)
- 家族や友人との時間を優先できない(勤務時間が優先)
- 生活リズムを自由にできない(出勤時間に縛られる)
- 上司・同僚・顧客からのストレス(人間関係の問題)
こうして「時間」と「自由」を天秤にかけたとき、僕は「会社員として生きる」ことに疑問を持ちました。もしこの12年間を丸ごと自由に使えたら、どれだけのことができるのでしょう?
そんなことを考えているうちに、僕の中で「就職」という選択肢は完全に消えていました。
「仕事 VS 自由」—— 何を優先すべきか?
12年分の労働時間を別のことに使えたら…
もし、40年間の仕事に関する拘束やストレスがすべてなくなったらどうなるでしょうか?
- 好きなことにすべての時間を費やせる
- 自由に住む場所を選べる
- 気が向いたときに旅に出られる
- 家族や友人と過ごす時間を増やせる
- 自分のリズムで生活できる
そんな未来を想像してみると、会社員として「安定した生活を得るため」に捧げる12年間が、あまりにももったいなく感じます。しかも、その「安定」は保証されているわけでもありません。
リストラや倒産、業界の変化で職を失うリスクは常にあります。そう考えると、「安定のための労働」とは本当に合理的な選択なのでしょうか?
「友人との徹夜ゲーム」すらできなくなる現実
たとえば、友人と「今夜徹夜でゲームしよう!」と気軽に言える自由。
会社員になると、これすら簡単にはできなくなります。翌日の仕事に支障をきたすからです。
「仕事に影響が出るから」という、あまりにもくだらない理由で、人生の楽しみを制限される。
これが会社員としての「当たり前」なのだとしたら、果たしてそれは本当に正しいのでしょうか?
そもそも、人生にとって何がより重要なのか?
**「お金を稼ぐための労働」と「友人との徹夜ゲーム」**を天秤にかけたとき、僕なら後者を選びます。
徹夜ゲームに影響が出るなら、仕事のほうを休むべきではないでしょうか?
会社員である限り、価値観の優先順位を変えざるを得ない
ただし、会社に依存している限り、そうはいきません。
会社をクビになったら、収入がゼロになり、生活が成り立たなくなるからです。
そのため、次のように価値観を「転換」せざるを得なくなります。
- お金を稼ぐための労働 > 友人との時間
- お金を稼ぐための労働 > 家族との時間
- お金を稼ぐための労働 > 夢
- お金を稼ぐための労働 > 趣味
- お金を稼ぐための労働 > 個性
こうして、仕事を優先するうちに、人は徐々に「働くための機械」へと変わっていきます。
「自分の人生を生きる」という感覚を失い、ただ目の前の業務をこなすだけの存在になってしまうのです。
電車で疲れ切った顔で吊革につかまるサラリーマンの姿が、どこか哀愁を帯びて見えるのは、僕たちが「失われた人間性」を本能的に感じ取っているからかもしれません。
「みんながそんなことを考えたら社会が回らなくなる!」という意見について
この話をすると、よく「そんなことをみんなが考え出したら、社会が成り立たなくなる!」と言われます。
でも、それは僕の知ったことではありません。
僕たちは「社会のため」に生きているわけではなく、 「自分の幸せのため」に生きている はずです。
もちろん、国や社会がなくなれば生活は不便になるかもしれませんが、それは個人が幸せになるための「手段」にすぎません。
極端な話、100年後には今生きている人間のほとんどがこの地上からいなくなります。
それでも社会は何事もなかったかのように存続し続けるでしょう。
一方で、僕たちの人生はたった一度きり。 「死んだら終わり」 なのです。
自分が幸せになったあとで、社会のことを考えても遅くはない。
そう考えると、まずは 「自分の時間を取り戻す」 ことが何よりも重要ではないでしょうか?
「本当に大切なことを優先する」— 働き方を考え直す
「しょうがない」と諦めた時点で、その未来は確定する
以前、Xで今回のような話をしたとき、ある人から 「でも、それ(仕事を優先する生活)って、しょうがない気もする」 というメッセージをもらいました。
確かに、多くの人が「働かなければ生活できない」と思っています。
だから、時間を犠牲にしてでも仕事を優先する。
「しょうがない」と考えることで、自らその状況を受け入れてしまうのです。
でも、ここで一つ考えてみてほしいのは、 本当に「しょうがない」のか? ということです。
実際に足掻いてみたのか?
僕が言いたいのは、「本当にしょうがないのか?」ということです。
実際に行動してみる前から、「無理」「しょうがない」と決めつけてしまっていないでしょうか?
僕自身も最初から自由な働き方を実現できたわけではありません。
でも、学生時代に「40年働き続ける未来」を考えたとき、そこに強烈な違和感を覚えました。
「このまま就職したら、本当に自分の人生は満たされるのか?」
そう考えた結果、僕は ネットビジネス という道を選びました。
もちろん、最初は試行錯誤の連続でしたが、会社に依存せずに生きる方法を見つけたことで、自由な時間を手に入れることができました。
だからこそ、僕は言いたいのです。
「しょうがない」と決めつける前に、まず足掻いてみてほしい。
少しでも行動を起こせば、意外と「しょうがなくなんかない」ことが分かるはずです。
人間らしい生き方とは?
結局のところ、僕が言いたいのはシンプルなことです。
「今夜、徹夜でゲームしようぜ!」
「OK、今からお前んち行くわ!」
こんなやりとりが、当たり前にできなくなってしまうことへの違和感です。
働くために生きるのではなく、生きるために働く。
そのバランスを見失ったとき、人はただの「労働機械」と言っても過言ではない。
もちろん、これは極論かもしれません。
でも、僕は 「極論だから間違っている」とは思いません。
大切なのは、「自分がどう生きたいか」を真剣に考え、 本当に大切なことを優先する生き方を選ぶこと ではないでしょうか?
まとめ:人生の時間をどう使うか?
- 会社員として40年働くと、 約12年分の時間 を労働に奪われる。
- その間、住む場所・休み・生活リズム・人間関係など、あらゆる自由を制限される。
- その結果、「仕事>自分の人生」と価値観を転換せざるを得なくなる。
- しかし、本当に「しょうがない」のか?一度立ち止まって考えてみる価値はある。
- 「徹夜でゲームする自由」すら奪われる人生で、本当にいいのか?
僕は、人生の自由を最優先する生き方を選びました。
そのために、会社に依存しない働き方を模索し、実践してきました。
人によって価値観は違います。
でも、もし今の生活に違和感を覚えるなら、一度考えてみてほしいです。
「今の働き方は、本当に自分が望んだものなのか?」
少なくとも、「しょうがない」と思考停止する前に、一歩踏み出してみる価値はあるはずです。
「今夜、徹夜ゲームしようぜ!」
「OK、今からお前んち行くわ!」
こんな自由なやりとりが、もっと当たり前にできる世の中になればいいな、と思っていたりします。