なんとなく気になった、「絶対」っていう言い方
先日、彼女と夜ごはんを食べにいきました。
いろんな話題が飛び交う中で、ふとこんな話が出ました。
「友達のひとりがね、◯◯ちゃんってどこに行っても“絶対オムライス頼むよね”って言っててさ。」
その言葉に、ふたりして「なんかその“絶対”って、違和感あるよね」と笑い合った。
終始和やかだったし、別に誰かを責めるような雰囲気ではない。
店内のBGMが切り替わって、
外の通りを歩く人の影が窓越しにちらっと見えたり、
厨房のほうから皿を洗う音が聞こえたり。
ただ、なんでその言い方に引っかかるんだろう?という話になって、
そこからいろいろと会話が膨らんでいきました。
たとえば、何度か一緒にごはんを食べていて、
単にオムライスを頼むことが多かった。
そういう記憶が根拠にあるのかもしれません。
でも、「いつも」が「絶対」になる瞬間って、
どこか乱暴だなと。
もちろん、面と向かってそれを指摘することはしないだろうし、
それで傷つくとか怒るとかいう話でもありません。
ただ、そういうふうに言葉を使う人を見ると、
「あ、この人とはちょっと感覚が違うのかもな」と思ってしまう自分がいて。
人って案外、「この人の言葉、気になるかも」っていう些細な引っかかりで、
人間関係の距離感を決めてたりする。
その一言が良い悪いではなくて、そこにどれだけ“想像”があるかというか。
たぶんそういうふわっとした部分に敏感なのかもと思います。
そのあとも、なんとなくお皿に残ったオムライスをつついたり、
コップの水に口をつけたりしながら、
ぽつぽつと他愛のない話が続いていきます。
ストローでグラスをくるくる回していると、
店員さんが隣の席の皿を片づけていたのがそのグラスの奥にぼんやりと映っていました。
誰かを決めつけた瞬間に、見えなくなるもの
僕は昔から、空気を読むのが得意ではありませんでした。
飲み会では話をうまく広げられないし、
職場でも雑談が苦手で、「何考えてるかわからない」と言われたこともあります。
でも自分としての軸が曖昧なわけではないし、
その話題について考えていないわけではないです。
ただ表現の仕方や捉え方が、少し「普通」とは違っていたようです。
「◯◯さんって絶対真面目すぎて融通利かなそうだよね」
「◯◯さんって絶対裏表あるタイプじゃん」
「◯◯さんって絶対プライド高くて謝れないタイプだよね」
「◯◯って絶対空気読めないよね」
あははー😆
…いや、それって、誰が決めたんだっけ?と。
人の脳って、なるべく情報を圧縮して記憶しようとするので、
この人はこういう人だと決めつけた後は「それ以外」を見ようとしなくなるんですよね。
でも本当は、「絶対」なんてそれこそ「絶対に」存在しないはずで。
なので楽をしないというか、
常に言動とか含め目の前の人と向き合う姿勢を忘れたくないなと。
その引っかかりは、気づきとしての“感覚”かもしれない
とは言ってみたものの、
僕自身も
「アイドルなんて絶対彼氏いるでしょ」
とか
「お金ないアピールしながらあの人絶対金持ってるでしょ」
とか平気で言います。
ただ、自分の中にこういう“引っかかり”を持っていること自体は、
無視してはいけない部分なんじゃないかと思っています。
別にそれを人前でわざわざ言わないですし、
誰かを正そうとする気もありません。
ただ、自分の中で違和感に思うことって、
意外と後になってからも残るし、
無意識のうちに人との距離感や関係性を決めていたりします。
「小さな引っかかり」があるということは、
見えないところで物事を丁寧に感じ取ろうとしている状態の発露だと
個人的には思っていたりします。
こういう感覚に自分自身悩まされることもあるし、
ニコニコしながらスルーできたらどれだけいいかと思うことは数え切れないですが、
でも同じような視点を持っている人も、
きっと少なくないんじゃないでしょうか。
ちっちゃな違和感に名前をつけられるようになると、
それが「発信」にも「はたらき方」にもつながっていきます。
そして、そういう感性が「価値になる」場所を、
これからもつくっていければなぁとか、思ったりしています。
それでは、また!!