この間、友人から衝撃的な話を聞いた時のはなしをします。
彼は起業家ですが、ある日、サラリーマンの友人(以降Aさん)夫婦の家に招かれました。
そこで、何気ない会話の流れから将来設計の話題になったそうです。
(ちなみに、友人もAさんも現在29歳。Aさんには奥さんと子供がいます。)
Aさんはおもむろにタブレットを取り出し、
「実はファイナンシャルプランナーにこのプランを作ってもらったんだ」
と友人に見せたそう。
それは、ライフプランシミュレーション表。
Aさん夫婦の将来の収入・支出が細かく数字で記されています。
シミュレーションによると、Aさん夫婦は60歳の定年まで現在の職場で共働きし、その後65歳まで非正規で働きます。
65歳以降は、退職金、貯金、年金を頼りに節約生活を送る計画。
年収は毎年10万円ずつ増加し、年間の生活費は全て明確に設定。
家計簿を細かくつけ、予算を超えないよう厳しく管理します。
浮いたお金は貯金や堅実な資産運用に回し、
子供の進学時など大きな支出が発生した際に取り崩すとのことです。
さらに、10年ごとに車を買い替えるために300万円を支出し、毎年お盆かゴールデンウィークに家族で国内旅行を計画し、年間20万円の予算を「夢」という項目に設定しています。
これにより、Aさん夫婦は95歳までに約1億2000万円の貯金ができる見込みです。
Aさんはこのライフプランに従って生きると明言し、友人に対して「不安定な仕事をしているお前には、こんな緻密な将来設計は立てられないだろう」と自慢げに語ったんだそう。
しかし、この話を聞いて僕は疑問に思ったわけです。
こんなに長期にわたるライフプラン設計、このご時世本当に意味んの?って。
ファイナンシャルプランナーの需要があるのは知ってますし、わかります。
Aさんも数万円を支払い、このシミュレーションを作成してもらいました。
一般的には、老後の不安を解消するために賞賛され、羨ましがられるかもしれません。
某大企業に勤め、年収も高く、社会的地位もエリートの一人ですから。
しかし、60年後の人生を計画するのは、1960年代にベトナム戦争中に「2024年までの人生設計」を立てるようなもので、時代背景が大きく変わる中での予測は極めて難しいです。
インフレ、年金制度の変動、経済危機、テクノロジーの進化など、予測不可能な不確定要素が多すぎます。
さらに、Aさんのプランが成功するためには、数十年にわたって一度も会社が倒産やリストラに遭わず、給料が上がり続け、事故や病気、災害、犯罪などにも見舞われず、年金や退職金が現在の基準通りに支給される必要があります。
これらの条件が一つでも欠けると、Aさんのプランは崩壊します。
また、「会社の給料以外では絶対に収入を増やさない」という前提も問題です。
現代では個人が収入を増やす手段は無限に存在します。
これらを活用することで、旅行の回数を増やしたり、早期リタイアを目指したりすることも可能です。
しかし、Aさんは現状の収入に基づくライフプランを堅持することで、新たな選択肢を見失っています。
彼の意識はプラン通りにお金を貯めることに集中し、他の可能性に目を向ける余裕がありません。
結果として、人生の楽しみや柔軟な対応が犠牲になっているのです。
結論として
- 世界のルールは常に変わる。
- 不測の事態は常に起こる。
- 収入も支出と同様にコントロール可能である。
これらを前提に考えると、数十年先の長期的なライフプランを厳密に設計することは、現代の変化の激しい環境下ではあまり現実的ではありません。
参考程度に留め、柔軟に対応する姿勢が重要です。
計画に縛られることで、人生の可能性を狭めてしまうリスクが高まります。
人生の予定をすべて決めてしまうことって、本当に楽しいの??
作成してもらったプランをただなぞるだけの人生は、想像するだけで僕はゾッとします…
もちろん、仕事が楽しいのであれば問題ないこともないですが、Aさんの場合は必ずしもそうではないところもポイントです。
先日、Aさんが誕生日を祝った際に「苦行が4分の1終わった」と語っていました。
要するに定年までの40年間のうち、最初の10年が終わったということを言っています。
これは、人生が本人にとってほとんど苦行に感じているということに他ならず、それなのに抜け出す努力をせずに我慢し続ける人は、「自分の人生が楽しいかどうかは重要じゃない(それよりも重要なことがある)」という価値観を持っている場合が多いように思います。
社会的な責任を果たすことが最優先され、自分の楽しみは後回し(←一体どこで洗脳された…?)。
実際には、人生を楽しみながら社会的責任を果たす道はちゃんと存在します。
というか、むしろそういう人じゃないと今後の社会で価値提供していく(仕事を獲得する)のは難しいとすら思います。
僕の周りにも、自分のやりたいことを追求しながら家庭を大切にしている人はたくさんいます。
Aさんのように、仕事に時間とエネルギーを奪われすぎて家族との時間が持てない、
子供の教育にも関われない状況は、日本的思考のよくない側面(=頭が硬い)がもたらす悲劇の一つだと思います…